現在地点

いろいろ書きたいことはあるのですが、今日は初日ということで、今まで自分が考えてきたことの大まかな流れと、その結果としての現在地点というものを明確にしようかと思います。(僕のことを全く知らずにこのブログを見る人でも、内容が把握しやすくなればいいのですが・・)。


そもそも僕は、グラフィティからポストグラフィティという展開を考えていたのですが、ここには二つの問題意識がありました。


一つは、グラフィティが違法であることによって抱えてしまう閉鎖性です。ここでは細かくは書かないけれど、イリーガルのグラフィティが本物だ、という考えには確かに説得力があるし、僕自身もある程度は同意しています。ただ、イリーガルであったはずのグラフィティがその外側(つまりイリーガルではない領域)に不可避的に影響を与え、そこから新しい流れが生まれてきたのも事実で(僕の居場所もそこでした)、そういったものをイリーガルではないというだけでまとめてダメだしするっていうのは視野が狭いんじゃないかなぁと思っていたわけです。まあ、断固イリーガル以外を認めませんっていう原理主義的な人が実際にどの程度いるかはよく分かりませんが、そういう考え方が支配的だった時期はあったと思います。いずれにせよ、日本でさえ水戸芸術館でグラフィティの展覧会が行われたり、コンポジションのようなNPOが現れたりしたくらいだから、2000年以降くらいから状況は変わりつつあるのだと思うけれど。


■X-COLOR
http://www.arttowermito.or.jp/xcolor/xcolorj.html


■KOMPOSITION
http://komposition.org


一方で、それこそ水戸芸での展覧会に象徴されるようなグラフィティと美術の関わり方にも疑問がありました。これが二つめの問題意識です。当時の僕は、現代美術は知的でスノッブ、そして権威的なものという印象を抱いていて、同時に美術が消費の対象としての新しいジャンルを見出しては吸収していく資本主義的なメカニズムであることくらいは理解していたから、水戸芸なんかは権威的な美術が表面的にグラフィティを受け入れつつ実際上は骨抜きにして消費する、正にその様子に見えていたわけです。あるいはそれは、アントニオ・ネグリの議論でいえば帝国的な管理ということになるでしょう。なぜなら多様性を受け入れる(許容する)ことによって同時にそれを一手に支配するのだから(これはすぐ後に書くマルチ・カルチュラリズムに関連します)。


とはいえ、僕はグラフィティが美術に“受動的に”取り入れられていく様子に疑問を感じていたのであり、グラフィティが能動的に展開して美術の文脈(コンテクスト)に切り込んでいくことは可能だと思っていたし、また(一つめの問題意識を省みれば)望ましいことだとも思っていました。そして、そのためにはある種の理論が必要であり(なぜならグラフィティが美術に対して自律的であるには、自らについて自らの言葉で説明することが要求されるであろうからです)、そこからポストグラフィティという考え方を練り上げていったのです。つまりそれは、グラフィティがその内側から展開し積極的に美術の問題系に接続していくための思考法、ということになります。


ここまでのおおまかな発想自体は、今でも大きくは変わっていません。でも、僕がこの時点で暗に設定していた、グラフィティ / 美術(=サブカルチャー / ハイカルチャー)という構図は、今考えれば決定的に恣意的なものだったと思います。というのも、美術をその外側から眺めて輪郭線としてしか捉えていなかったからです。しばらく前からもう少し具体的な形で美術の領域に足を踏み入れて、そのことがはっきりしました。


歴史とは物語である、というのはもはや自明なことですが、美術史も例外ではありません。ただ、大きな物語としての美術はおおよそミニマリズムなどを着地点として70〜80年代で終わったとされ、その時点で一度系譜としての美術の問題は切断されたことになっています。代わりに、特に89年の社会主義の解体以降、マルチ・カルチュラリズムという考えが出てきて、それまで美術としては考えられてこなかったような様々な対象が積極的に美術の範囲に取り入れられるようになるわけです。これは、美術としての美術、あるいは(漠然とですが)権威としての美術が終わり、多様性としての美術、または寛容としての美術の始まりだったとも言えそうですが、いずれにせよそういった事情を背景に、美術に対する新たなネタの供給源として大きな役割を果たしたのが広義のサブカルチャーであり、グラフィティからも初期にはキース・へリングやジャン・ミッシェル・バスキア、今ならバリー・マッギーなどが登場してきます(正確に言えば、グラフィティとして”登場させられた”のだと思うけれど、ここでは省きます。あと、ケニー・シャーフは個人的に外したい・・)。しかし、これは最初に書いたように資本主義的な機構としての美術がグラフィティを吸収していくそのことでもあり、マルチ・カルチュラリズムとは実にそのような両義的なものであるといえます。また、歴史的な美術の問題の系譜を省みないままの安易な多様化の流れに否定的な立場の人もいますし(いわゆるモダニスト?)、ひとまとめに美術といっても、より具体的な創作のレベルにおいては、互いに関心を異にするような問題意識が様々に存在しているのです(そもそもマルチ・カルチュラリズムって美術が中心点を失った状態なのだから、実質バラバラで当然といえば当然でしょう)。


一方で、僕が美術を外側から輪郭線としてしか見ていなかったように、いまだ多くの美術からの目線は、グラフィティを単にグラフィティとして、つまり何か単一のものとしてしか捉えていないように思うわけです。つまり、マルチ・カルチュラリズムという枠組みの中の、漫画、アニメ、ファッション、映像などといった様々な項の一つとしてのグラフィティという具合に。ところが、そうではないわけですね。グラフィティにおいても、様々なレベル(グラフィティに対する考え方のレベルから実際の制作におけるレベル)において、多様な立場があるわけです。DAIMの3Dのレターと、BANKSYのルーブルでのアタックと、GRAFFITI RESEARCH LABのプロジェクトをどうやれば比べることなんてできるんでしょうか。


■DAIM
http://minskodun.blog.is/users/94/minskodun/img/daim_1_large.jpg


■BANKSY
http://jp.youtube.com/watch?v=OwW7qIvndwI


■GRL
http://graffitiresearchlab.com/


これは結局、他者に対する認識の解像度の問題なわけですね。僕自身、以前は美術というものを単に仮想敵に仕立て上げるだけで、その中身をきちんと把握していなかったわけです(今でもできていないけど)。要するに、グラフィティ / 美術なんていう図式的な構図は存在せず、様々な作品やトライアル(試み)が個別の関心に基づいて展開していく中で、活動領域の違いによってグラフィティと美術という、緩やかなまとまりが形成されているに過ぎないのではないかと(これは言い過ぎ?)。むしろ重要なのは、より実質的なレベルで考えることです。例えばBANKSYなら公共性を主題化する活動が多い点で美術におけるchim↑pom川俣正の問題意識と関連して考えうるし、KAWSDALEK村上隆ポップアートと親和性が高い(アニメ、漫画、消費社会をインスピレーションにしているから。ちなみにDALEK村上隆のアシスタントやっていましたね)。一方で、アダムス&イッツォやロン・イングリッシュなんかは公共性というよりはほとんど政治的なレベルの問題に踏み込んでいて、スクワットの文化なんかとも共通点があると思います。あと、メディア・アーティストである岩井俊雄とGRAFFITI RESERCH LABが、APMTという同じカンファレンスに出演しているのも興味深い(違う回だけど)。


■(再び)BANKSY
http://www.banksy.co.uk/


Chim↑pom(スーパーラット)
http://www.mujin-to.com/chimpomsvoiceenglish.html


川俣正
http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/


KAWS
http://asupremenewyorkthing.files.wordpress.com/2008/06/postcard.jpg


DALEK
http://www.magda-gallery.com/img/Dalek7-72x72.jpg


村上隆
http://store.lammfromm.jp/images/200000800016.jpg


ADAMS & ITSO
http://field-work.dk/freeculture/adams.html


■RON ENGLISH
http://jp.youtube.com/watch?v=13bFfcqbD9g&eurl=http://www.popaganda.com/


岩井俊雄
http://ascii24.com/news/i/topi/article/1999/07/07/images/images603030.jpg


■APMT
http://www.apmt.jp/


従って、僕の現時点での結論は、グラフィティ、ポストグラフィティ、美術といったカテゴリーから出発するのではなくて、その真逆、つまり個別の作品や試みを出発点にし、そこを交通路にしてどのような様々なコンテクストが交錯したり衝突したりしているのかを描くことが必要になってきている、ということです。こうやって書いてみると、なんだかすごく当たり前のことを書いているようなのだけれど、そして恐らくある程度は当たり前のことなんだけれど、観念的にではなく実感としてこの複雑さを理解するにはそれなりに時間がかかりました。そして、僕自身の制作のスタンスも、同様に変化してきています。


今回はこの辺で。おやすみなさい。