デルタについて

http://www.deltainc.nl/indexdeltainc.html


デルタがガンダムの影響を受けていることは本人が認めています(雑誌relaxのデルタ特集号参照)。ただし、彼は自分の興味が機動戦士ガンダムの物語や機能性にあるのではなくて、もっぱらその造形的イメージにある、ということを付け加えるのを忘れない。主にインターネットで日本からガンダムの資料を取り寄せているという彼は、大塚英志のいう「物語消費」とは無縁の場所にいるんですね。




■物語消費
http://d.hatena.ne.jp/ced/20060905/1157760189

大塚英志
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E5%BF%97


デルタは取り寄せたガンダムの資料を通じて、その背後の物語にまで思いを馳せているのではないようです。むしろ彼は、ガンダムの造形的イメージの手前で立ち止まり、それをどう自分流に料理するのかを考える。だからその作品は、ガンダムではなくガンダム的な何か、ガンダムの造形を素材として構築された別種のものとして考えられるんだけど、彼のこのガンダムを扱う手つきは、同じオランダ出身の抽象画家、ピート・モンドリアンの提出したコンストラクションの概念を思い起こさせます。



モンドリアン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3


コンストラクションは、コンポジションという概念と対で考えるとわかり易いです。両方とも構成、構図といった意味ですが、微妙に意味合いが異なります。コンポジションは、例えば人体のように、各部が交換不可能な要素の集合体としての一つの有機的まとまりですね(手と足は然るべき位置でそれ独自の役割を担っているから取り替えることはできない)。一方で、コンストラクションは、部分と全体が相似的な姿をしていて、かつ各部分同士が交換可能であるような機械的まとまりです。モンドリアンがコンストラクションとしての絵画を制作したのに対して、同じく抽象画家のカンディンスキーコンポジションを主題化したことは良く知られています。


そうすると、デルタのやっていることは、コンポジションとしてのガンダムの造形を面という要素にまで解体して、キャンバス上にリコンストラクト(reconstruct/再構成)しているということになりますね。ただし、モンドリアンのように完全に抽象的なやり方で、というわけではないんです。


モンドリアンの場合、スピノザ的なエティック(倫理)の理念が背景にあるから、その絵画は完全に抽象的なものとして観念の象徴にまで高められているんですけど、デルタの場合、その背景にはグラフィティをやっていたキャリアがあります。だから、解体されたガンダム的なイメージがリコンストラクトされていくのは、D、E、L、T、Aという5つのアルファベットということになるのです。だけれど、キャンバスにおけるグラフィティのレタリングは、ストリートで持っていたような自己主張の意味は持たないわけで、それはむしろフェティッシュなものとして、欲望の対象になっているんですね。それは、そもそもデルタがガンダムのシェイプに注いでいた眼差しのマニア性と同種のもののはずなのだけれど、しかしデルタは、それをただ眺めるだけでは飽き足らず、それを自分自身のアーキテクチャ=レタリングに取り込んでいくのです。それは何かの象徴や理念ではなく、ひたすら「〜っぽさ」を貪欲に取り込んでいく欲望の平面といえるのではないかな。


スピノザ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%B6


それにしても、デルタの作品にはフェティシズムが感じさせるデカダンな雰囲気はなくて、むしろそういった嗜好性の清々しいまでにストレートな肯定がある気がします。それはもしかしたら、オランダ人である彼の中のどこかで、やはりスピノザ的なエティックが働いているからなのかもしれないし、あるいはもっと単純に、アーキテクチャー(建築)も学んだことがあるという彼のデザインの感性によるのかもしれない。


いずれにせよ僕は、グラフィティとガンダムの幸福な結婚=デルタの作品は、大好きですね。