レヴューハウス☆ドリームナイト


昨日は渋谷のUP LINKで行われたレヴューハウス☆ドリームナイト(以下RHDN)へ。名前の通り、以前僕も寄稿した批評誌レヴューハウスのイベントです。ちなみにロゴは僕がデザインしましたw


レヴューハウス☆ドリームナイト(伊藤亜紗さんのブログより)
http://assaito.blogzine.jp/assaito/2009/01/post_06ef_1.html


詳細は上のurlを見て頂くとして、簡単に説明すると、参加者は100円ショップで品物を5つ購入し、それを用いて作品を制作。その後オーディション、プレゼンテーション、ディスカッション、オークションという4つの段階を連続的に行うことで、それぞれの価値基準が相対化されつつ、その蝶番として機能する作品がある程度自律的に立ち現われてくる、という感じでしょうか。第一回目ということでの手探り感や進行上の不手際は結構ありましたが、それはさておき、イベントの趣旨はとても魅力的と感じました。回数が重ねられてブラッシュアップされていけば、どんどん良いものになっていくのではないでしょうか。


とはいえ、いくつか疑問点も残りました。まず、恐らくこのイベントは、美術批評やアートオークションといった、普通閉じられた回路の中で行われていることに誰でも簡単に参加できるという、ある種のアンデパンダン的な開かれが一つのキーポイントとしてあると思うのですが、同時に、あくまで美術畑のイベントとして、美術の問題意識の中で先の4つのプロセスを転がしていくんだ、というスタンスも感じられました。これを、単に「一般に対する間口の広さを謳っておきながら、結局美術の閉域に陥っているのではないか」なんて批判しても虚しい話で、ある程度の制限というか枠組みがないとディスカッションなんて成立しないのですが、その枠組みの設定や程度というものが昨日はやや不透明だった印象はあります。実際、普段は美術に全く携わっていない人や、美術以外の文脈から今回は美術の領域に出てきましたという感じの人たちもわりといましたが、そういう参加者をRHDNがどう歓待していくのか、今後の展開に興味があります。


また、仮にその点が明快になったとして、もう一つ気になったのは、このイベントが美術の領域の中でどういった役割を担いうるのか、ということです。例えば、批評を理解するのには一般に多少のリテラシーや知識を必要とするのに対し、RHDNはそういう貯蓄を持たない作家やアートファンをも巻き込んだ、開かれた社会的な場であろうとするポジティヴな姿勢があることは(というか僕がそういう印象を受けたということは)既に書きました。ただ、もしそれが、単に参加者を将来より洗練された批評や知的営みに導くための準備段階=予備校的な場ではないのだとすると(そして恐らくそうあろうとはしていないと思うのですが)、ではRHDNはイベントとしてその外部とどのようなファンクショナルな関係を持ちうるのか、というのも一つ重要なことではないかな。というのも、単に予備校的な場や、あるいはイベントとして「面白いもの」というのは(美術の内外を問わず)他にもいくらでもあるからです。


多分、そういった時に、レヴューハウスがメディアを横断しようとしていることがとても重要なんだろうと思います。雑誌でできること、イベントでできること、あるいは他の形でできることをバランスよくかつ連動させて続ければ、それは一つの厚みのある社会的結果に結びつくのではないでしょうか。今後に期待です。