池田亮司展

東京都現代美術館で行われている池田亮司展を見に行ってきました。基本的には、文句なしにカッコ良いという感じ。


http://www.ryojiikeda.mot-art-museum.jp


確か「多様な美から単一の崇高へ」というようなフレーズが掲げられていたと思いますが、異様なほどに無駄を排除して構築されたその世界は、確かに圧倒的な崇高性を表出させていました。池田は数学的思考に影響されていて、ある評論では池田の作品を論ずるのにカントールの無限概念などが引用されていたような。とはいえ、それは無限「大」や無限「小」というような(あるいは微分積分というような)ある種の方向性をもった無限性というよりは、むしろただひたすら0と1というミニマルなデータ的反復において表象される「平らな無限性」とでも言えそうな気がします。その徹底した逐行は、強度の数学的緊張感を作り出す。


そんなことを考えていると、マーカス・デュ・ソートイの「素数の音楽」という本を思い出しました。



http://item.rakuten.co.jp/book/3629136/


素数とは、1と自分自身以外の数でわることができない数のこと。そして、素数以外の全ての数は素数の掛け合わせで表わされることから、素数は全ての数の出発点、つまり原-オーダーとして考えることができます。ところが、完全に論理的であるはずの数学世界の原理であるこの素数には、その現れ方にはっきりとした規則が発見されていません。1、3、5、7、11、13・・・と増えていくこれら素数のオーダーを何とか発見しようとする試みはリーマン問題と呼ばれていて、「素数の音楽」はこのリーマン問題に挑戦してきた歴史上の数学者たちのことを紹介する本というわけです。良い本だと思います。


0と1のデータ的反復だけでは見えてこない、素数の存在。論理の底に潜むこのような不可解な特異性こそ、豊かなものだとも思えます。では、数学的思考をめぐるオーダーの問題ですら、池田の作品にとっては余計なものだということなのでしょうか。リーマン問題に取り組む多くの数学者たちは数の美しさに魅了されている、ということが「素数の音楽」に書いてあったと思うけれど、むしろ池田の眼差しは美しさの向こう側にある単一性‐崇高性へと向けられていると思います。音楽で言えば、オーダーのある線的な旋律と、前-オーダー的/点的な反復・ミニマルの違いであると言えなくもない。


いずれにせよ、必見の展示です。