聖地チベット展

今日はスタジオに行く前に、上野の森美術館でなんとなく"聖地チベット"展を見る。


http://www.seichi-tibet.jp/


個人的になんの信仰もないけど、前に中沢新一の本を読んで以来チベット密教の文化には結構興味があります。とはいえ、主にビジュアル的な部分で、だけれど。


印象に残ったのは、前後左右に計4つの顔を持つ男と女の神様が抱き合って口づけをしている像で、4つのうち1つの顔が向き合っているんだけど残りの3つの顔は当然別の方向を向いているわけです。もちろん像自体は止まっているんだけど、何となく歯車が回転しながら噛み合うように顔がグルグル回転しながら次々に異なる顔同士が口づけをしていく様子を連想してしまい、不思議な感じ。中沢のデビュー作(確か)"切片曲線論"の最後にある「顔をなくせ。それとも顔を千に増殖させること。」という言葉を思い出しますね。顔が増殖し単一のペルソナが解体されていく一方、言語におけるシニフィエシニフィアンの一対一の対応のように噛み合うこれらの顔の関係は、極めて構造主義的とも言える(下の写真は別の像)。



実際チベット密教の教えはプレモダンの魔術的思考を帯びているとはいえ全体として驚くほど体系化されていて、そもそも展覧会の最初に展示されていた"魔女仰臥図(下図)"なんかは、土着宗教があったチベットに後から入ってきた仏教が、チベットの大地に棲む魔女を封じ込めるために各地に寺院を建立したという図で、極めて抑圧的というか専制的というか。

曼荼羅なんかも非常に精密に作図・構成された上でその中に様々なオーダーに従って神々が配置されているんですよね。ちなみにタンカという日本の掛け軸のような支持体に描かれた多くの曼荼羅は、すごく丁寧にカラフルに書き込まれていて個人的にはツボでした。



もともとチベット密教は、インドの後期仏教が輸入されて生まれたものだけど(確か)、インドのビハール州というところに古代から伝わるミティラー民族画も個人的にはツボ(昔、古本屋で300円くらいで画集を買った)。





終電までスタジオで制作し、帰りにツタヤでチャットモンチーとボブ・デュランを借りて帰りました。