アイ・ウェイウェイ/鴻池朋子/New Direction展/COOP HIMMELB(L)AU/伊藤公象/ベルギー幻想美術館/大巻伸嗣

NYから帰国後に見た展示をざーっと。




森美術館アイ・ウェイウェイは7月に行くつもりが遅れに遅れ、先日ようやく見れた。

http://www.mori.art.museum/contents/aiweiwei/index.html


基本的にはミニマルな作風。が、シンプルでソリッドな造形を構成するマテリアルには茶葉や中国の伝統的な工芸品及びその技術が用いられ、あるいは歴史的/社会的なコンテクストが与えられていて、一切の物語性や手技性を排除していったアメリカ型のミニマリズムとは一線を画す。そこで気になったのは、彼の作品はミニマルな造形の表層にそれら歴史的/社会的な意味性が手際よく被せられているに過ぎないのか、それとも歴史/社会のダイナミズムが持つ内在的な爆発力がミニマルな造形にまとめあげられていると言うべきか、ということ。作品が中国の伝統職人に外注されることも多いという事実はドナルド・ジャッドを連想させもするが、それでも例えば茶葉を固めて立方体のマッスへと仕立てた"1トンのお茶"という作品を鑑賞する際、ほのかに漂ってくるその匂いに感覚を委ねれば、やはりそこからは、単なるミニマリズムと伝統中国の掛け合わせには留まらない非常に微細な作家の問題意識が感じられる。アメリカ型モダニズムの物語も社会革命の夢も、もはや素朴には信じられないような現代において、茶葉の匂いだけが、かろうじて小さなリアリティを提示していたのではないのか。


初台のオペラシティで開催中の鴻池朋子の展覧会は、入り口が地表に見立てられ、展示が進むにつれて順に地球の内部、中心へと進んでいくという設定。もともと、物語性の強い作家ではあったが、今回は展覧会全体が宇宙/地球規模の一つの大きな物語になっているわけだ。もともと個別の作品は、彼女の非常にプライヴェートな世界観から生み出されるファンタジックな物語を感じさせる場合が多い印象だが、それらが(展覧会として)組み合わされた時に、いきなり宇宙/地球という壮大なスケールに拡大するというのは、例えばアイ・ウェイウェイが歴史/社会という物語を用いるのに比べてみれば、極めて日本的な方法論と言えなくもない。というのも、例えば最近批評家の千葉雅也さんや池田剛介さんが言っているように、ネオテニーマイクロポップのような日本の美術の動向が極めて私的な実存感覚や意識に担保され収斂するものだとすると、鴻池朋子の場合はそういったマイクロポップ的なものが、同時にアニメやライトノベルで言われるようないわゆる"セカイケイ(=君と僕というとても小さな単位の関係性が社会という層を飛び越えていきなり世界全体の問題に直結するような構造の物語)"に似た飛躍を経ているように思われるから。とはいえ、単に世界/宇宙という想像的な対象ではなく、地球(の内部へ)という極めて物質的な側面をはらんだセカイケイである、ということは考えておくべきだろう。これも千葉雅也さんがどこかで言っていたように思うけど、不穏な物語性と物質的実体性の共存という組み合わせは、彼女を単にネオテニーマイクロポップ的な作家として考えることに警鐘をならすはずだ。

http://www.operacity.jp/ag/exh108/


トーキョーワンダーサイト本郷にて後藤繁雄/木幡和枝キュレーションで行われた展覧会+シンポジウム"New Direction"は、主に若手を中心にしたもの。前回の千葉雅也+粟田大輔+池田剛介という組み合わせで行われたシンポジウムは見れなかったけど、今回の浅田彰名和晃平には駆けつけた。全体として論旨がはっきりあるような感じではなかったけれど、途中で千葉、池田、粟田の3人が議論に参加し、もの派やマテリアル、情報論と生態論、如何わしい物語、90年代及びネオテニーマイクロポップ的なものの終焉と新しいパラダイムの到来など、いくつか興味深い論点が出ていたように思う。展示は特定の傾向にまとまる感じではなく、様々な若手の雑多な傾向が紹介されていて、シンポジウムでも話題になっていたけど、単数系のDirectionというよりは複数形のDirectionsという印象。

http://www.tokyo-ws.org/hongo/index.html


ICCで開催中のCOOP HIMMELB(L)AU展は、展示の規模は小さいものの(展示作品は2点のみ)、それなりに見応えあり。COOPという言葉が名前に入っていることからもわかるように、ある種の社会的理念をもったグループということで、年代的にもスーパースタジオシチュアシオニストに近い文脈でしょうか。それを近年のテクノロジーの発展によって実体化したような作風だった。建築のことはまだよくまだわからないけど、ヴィジュアル的にも迫力あるのでオススメ(安いし、500円)。

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/CoopHimmelblau/index_j.html


東京都現代美術館で開催中の伊藤公象展は、家族連れで溢れるメアリー・ブレア展をよそ目に見てくる。土を主に用いる作家のインスタレーションを中心にした展示。鴻池朋子の見られることを要求するシアトリカルな、またアイ・ウェイウェイのある種の歴史的知性/教養に裏付けられるようなインスタレーションに対して、陶芸というバックボーンを持つ伊藤の土を扱う手つきは、私的なファンタジーも社会/歴史/世界/宇宙という広大なスケールの物語も必要としない有機的な自律性を持っていたように思う。そう考える時に"秩序とカオス"という展覧会タイトルは少し的外れのようにも感じられた。秩序ーカオスという古びた二元論の図式よりも、そこにあるのはむしろ土の自己生成という、あるいは同じ土という素材が様々な形態や状態に変化/変容していくトランスフォーメーションの重要性ではないだろうか。いくつか襞という言葉が作品名に含まれているものもあり、また最後の部屋にあった壁を襞のような状態の紙で覆ったインスタレーションなどは、ドゥルーズの襞の概念を連想させるような気がする。ついでに常設展もチェック。

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/100/1


渋谷の文化村ミュージアムではベルギー幻想美術館なる展示を時間つぶしにみたものの、個人的趣味にはあっていたので満足。にしても18世紀末のベルギーということで、退廃的/奇形的なイメージの作品が多く、ネオテニーじゃないけど世紀末はこういうデカダンな雰囲気の作風がやっぱり盛り上がるのかなーと思う。女性コンプレックスだったというポール・デルヴォーの描く女性像なんて目が大きくて漫画チックで、今ならさしづめ奈良美智みたいな感じなんじゃないか。するとスキャンダラスな版画を沢山作っていたジェームス・アンソールは会田誠か?というのは冗談だけど。アンソールは沢山あったけど、こないだMoMAで回顧展見たばかりなのですぐにお腹いっぱいになってしまった。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_09_belgium.html


トーキョーワンダーサイト渋谷で開催中の大巻伸嗣の"絶景"展はゴミの焼却後に取れるSlug(スラグ)という素材を使ったインスタレーション。展示作品4点と比較的小さめの構成だが、統一感もありよ良くできていると思った。テーマとしてはゴミをめぐる社会問題や環境問題を掲げていたが、それよりも物質としてのスラグが面白い。一見、錆や砂のようだが微妙に異なる鋭さや光沢があり、結構エッジーな印象。2Fのフロア全体に敷き詰められたスラグが徐々に1Fに落ちてできた円錐状のインスタレーションなど、繊細なもの派という感じかも。ちょうど2Fには同じ形の(逆)円錐状の窪みができていて、浅田彰がNew Direction展のシンポジウムでも言っていた関根信夫の代表作"位相ー大地"に通じる問題設定があるような気もする。

http://www.tokyo-ws.org/shibuya/index.html




あ、そういえばついに念願のMacBook Proを買いました(今さら?)。あと、髪も切りました(だから?)。今日も制作がんばろー。